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【コラム】KFCの道内1号店はミュークリスタルにある『ケンタッキーフライドチキン真駒内店』

1号店3コメント

ケンタッキーフライドチキン真駒内店(2021年11月12日撮影)

世界的に人気のファーストフードチェーン「ケンタッキーフライドチキン」の北海道1号店である『ケンタッキーフライドチキン真駒内店』について紹介します。
2021年12月24日でオープンからちょうど50年を迎えました。

KFCとは皆さんご存じの通り、フライドチキンを主力商品としたファストフードチェーン店です。
アメリカ合衆国ケンタッキー州で誕生しました。

オリジナルチキン

創業者はカーネル・サンダースで、1980年に没後も日本国内では「カーネルおじさん」として親しまれています。店頭にはカーネル・サンダース像が置かれており、クリスマスシーズンになると必ずサンタクロースの格好をさせられています。

日本初上陸となったのは、1970年3月に大阪府で開催された日本万国博覧会でのKFCインターナショナルの実験店でした。1日に最高280万円の売上を記録したようです。同年7月4日には三菱商事とKFCコーポレーション(米国)の出資により日本ケンタッキー・フライド・チキン株式会社を設立。

その後、1970年11月21日に日本1号店となる「名西店」(愛知県名古屋市)をオープンしました。
しかしこの店舗は半年ほどで閉店しています。
1971年7月には東京初進出となる「青山店」、9月にはフランチャイズ1号店の「江の島店」をオープンしています。

北海道への上陸

道内1号店となる『ケンタッキーフライドチキン真駒内店』は、1971年12月24日にオープンしました。
札幌オリンピック(1972年2月3日~13日)の開催を約1か月後に控えていた時期です。
真駒内には、オリンピック選手が滞在する選手村が設置されました。

現在はミュークリスタルのインストアとなっていますが、オープン当時は独立した戸建て店舗でした。
ミュークリスタルも、当時はクリスタルタウンという名称でした。

現在の「ミュークリスタル」になったのは1991年11月1日です。

なぜ真駒内に出店したのか

KFCは1960年代に急速な成長を遂げ、1970年までに48ヶ国で3000の店舗を抱えていたようで、欧米で絶大な人気を誇っていました。選手村が設置される真駒内には多くの欧米選手が宿泊することになるため、集客を見込んで店舗をオープンしたものと考えられます。

前述の通り、日本1号店のオープンが1970年11年ですので、日本上陸から1年という(当時としては)異例の早さで北海道上陸となりました。

かつてのオリンピック選手村は現在、五輪団地となっています。
また、女子選手宿舎として利用されていた五輪団地H棟とクリスタルタウン間は、かつて歩道橋が設置されていました。

その他同時期に出来た施設

KFCの他にも、オリンピックの影響で真駒内には多くの施設が誕生しました。

主な施設は、真駒内屋内競技場(現真駒内セキスイハイムアイスアリーナ)・真駒内屋外競技場(現セキスイハイムスタジアム)・プレスセンター(現北海道青少年会館)です。
これらの施設は、老朽化こそしているものの現在でも使われています。

KFCがオープンする8日前、1971年12月16日には地下鉄南北線(北24条ー真駒内)が開業しました。
札幌市民にとってなくてはならない存在となっていますね。

クリスマス=ケンタッキー?

クリスマスシーズンになると、竹内まりやさんの「すてきなホリデイ」を起用したTVCMが流れます。
「すてきなホリデイ」は2000年から使われており、それ以前にも、1995年~1999年までは竹内まりやさんの「今夜はHearty Party」が使われていました。
クリスマスキャンペーン自体も1974年から行われていますので、日本国内ではクリスマス=ケンタッキーという感覚が根付いています。

真駒内店がオープンしたのは、まだ日本に上陸して間もない1971年。
クリスマス=ケンタッキーというイメージはなかったと思いますが、奇跡的(?)にクリスマスイヴに北海道1号店がオープンしました。
(ちなみに発祥地のアメリカではクリスマスにターキーを食べるため、ケンタッキーを食べる文化は無い地域が多いようです。)

参考