【懐古】札幌市内、昭和の小中学校あるある!
学校も会社も休みは日曜日だけ
蒸発皿に牛乳瓶いれて温めて飲んだ冬の寒い日
蒸発皿でボンカレー温めて弁当のご飯にかけてた猛者いたな
石炭係 はやくくめれ
ストーブを囲うパネルのようなものがありましたな
ストーブに背中を向けてあたっている奴の学生服から煙が出ていても教えないのが道産子の掟
>>6
あったあったw
ストーブの熱とひたすら闘って
1日を終える
ストーブそばの子は顔真っ赤
後ろ廊下の側の子は寒くで震える
不便でもスマホ無くても
昭和時代に戻りたい
石炭係ってあったな
手稲中は、コークスって呼んでた
石炭を蒸し焼きにしたものがコークスです
スキー遠足の時は背中にタオルを入れる
机に穴を掘り、ゴルフを楽しむ
山鼻小学校卒業生ですが入学時に指定持参品の中に
「湯飲み茶碗又はコップ」がありました。給食の牛乳を飲むのに使うのですが
脱脂粉乳に辟易してみんなだんだん小さな湯飲み茶碗になりました。
3年生になって牛乳瓶の本物の牛乳になって嬉しかった。
手稲鉄北の50年前の給食用パンは銀座屋だった
俺は瓶と三角形の紙パック たまにコーヒーの粉
引用元:https://machi.to/bbs/read.cgi/hokkaidou/1584947632/
コメント
コメント一覧 (6件)
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年齢層高すぎwww
昭和生まれだけどついて行けないよ!
平成初期の小学生としては今とそんなに変わらないと思ってるんだけど
どうなんだろうね。
鼻水で袖ガビガビにした子供が居ないくらいか。。。 -
小学校は平和だった
中学校に上がったとたんヤンキーの先輩がいて別世界だった -
昭和52年~札幌の小学校通ったけど、あるあるが何も無い。
ストーブじゃないし、牛乳もパックだし。
ただ、スキー遠足は背中にタオル入れたけど、今は入れないの? -
小学校の時、各学年6〜8クラスも有って教室が足りないからプレハブの仮設教室だった事が有る。
中学になると更に学級が増えて12クラスあってその中の12組(最後の組)だったので後者の最上階の
隔離されたような教室だった。隣は視聴覚室と音楽室。他のクラスと交流が無かった為、ワルばかりが集まった。
この状況を読んで学校名がわかる人は多分同級生(笑) -
私は札幌の人口が毎年4万ずつ増えていた時期に小学~高校を過ごしてた。
小学1年入学時は教室が足りなく何年も使っていなかったような木造教室でやたらと寒いのだけ覚えている。クラス数は少なくとも10クラス以上、1学級4十数人だった。小学3年になって隣の地区に小学校ができて一瞬減ったがまた増えていき、小5の時に別の地区にもう一つ小学校を作ってた。
中学校はそれらの地区にたった一つしかないのでどう考えても12~13クラス以上あり、特別教室(理科室など)を潰したりしてた。そのせいか同じ学級でもそれぞれ離れていた。
私は地元のせいか1組~3組だったので、後半のクラスがどこまであるのか知らなかった。もちろん同級生でも知らない人は多い。
小4の時に新校舎ができ、確か電気ストーブになってた。中学校はコークスで上に書いてある通り場所によって熱い/寒いがあった。高校はスチームだったな。 -
スキー場で授業もリフトは使わない
何でカニ歩きして山登らなきゃならねーんだよ!と思ってた