【懐古】平岸にハドソン本社があった頃の思い出!
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1 : 2020/06/25(木) 17:54:06
オーム模型と言えばCQハドソンが近くにあった。
MZ80系とかPC8001とかのゲームソフトのカセットがバカ売れして
大きくなったんだっけ
オーム模型と言えばCQハドソンが近くにあった。
MZ80系とかPC8001とかのゲームソフトのカセットがバカ売れして
大きくなったんだっけ
2 : 2020/06/25(木) 19:00:05
昭和54年7月号にオリジナルソフトウェアの通信販売広告を掲載すると一転、郵便局員が毎日のように現金書留の詰まった白い袋を担いで来る状況になり、莫大な利益を得ることになった。当時のハドソン社内では郵便局員を「サンタクロース」と呼んでいた
昭和54年7月号にオリジナルソフトウェアの通信販売広告を掲載すると一転、郵便局員が毎日のように現金書留の詰まった白い袋を担いで来る状況になり、莫大な利益を得ることになった。当時のハドソン社内では郵便局員を「サンタクロース」と呼んでいた
3 : 2020/06/25(木) 21:32:52
友達の家が英会話教室をやっていてハドソンの社長の息子が通っていた
ファミコンの16連射ジョイカードを渡して高橋名人のサインをお願いした
後日本当に名人のサイン入りのジョイカードが返ってきた
今思えば本当に無理なお願いをしたと反省する奇跡のような思い出
友達の家が英会話教室をやっていてハドソンの社長の息子が通っていた
ファミコンの16連射ジョイカードを渡して高橋名人のサインをお願いした
後日本当に名人のサイン入りのジョイカードが返ってきた
今思えば本当に無理なお願いをしたと反省する奇跡のような思い出
4 : 2020/06/26(金) 01:28:30
中学の頃の同級生がハドソン入ったと聞いたが潰れてどうなったことやら・・・
中学の頃の同級生がハドソン入ったと聞いたが潰れてどうなったことやら・・・
引用元:https://machi.to/bbs/read.cgi/hokkaidou/1584947632/
補足
ハドソンは、かつてあったゲームソフト開発会社です。
創業は1973年5月18日で、当時は通信機器・美術写真の販売をしていました。
同年9月には無線機器を販売する「CQハドソン」を開店しました。
こちらは2001年頃に閉店したようです。
場所は以下の辺りにありました。
住所 | 札幌市豊平区平岸3条7丁目1-29 |
一方ハドソンは、1975年にパソコン用機器の販売、1978年にパソコン用ゲームソフト開発・販売を開始します。
そして1982年、後にファミコン名人と呼ばれる高橋名人が入社。
高橋名人は琴似出身で、東海大四高校を卒業しています。
入社当時は営業部所属だったようです。
1984年にはファミコン用ゲームソフトの開発・販売を開始。
1985年に発売したボンバーマンや1988年に発売した桃太郎電鉄は今も人気のソフトですね。
人気ゲームの誕生や高橋名人の名前もあり、ハドソンは全国にその名を広げました。
ファミコン以降も様々な人気ゲームソフトを輩出していましたが、拓銀破たんの影響で資金繰りが難航しました。
2001年にコナミが筆頭株主となり、2005年に子会社化してしまいます。
そして2005年7月に本社を東京都へ移転。
平岸の元本社は札幌支社となりました。
その後2011年にコナミの完全子会社化、2012年にコナミデジタルエンタテイメントに吸収合併、2014年1月からはハドソンブランドが消滅し、全てコナミブランドに統一されました。
ハドソンビルだった場所は現在、平岸グランドビルとなっています。
北海道の誇りとも言える企業がもう跡形もなく無くなってしまっているのは寂しいものです。
住所 | 札幌市豊平区平岸3条5丁目4-22 |
![]() ![]() |
コメント
コメント一覧 (21件)
ボンバーマンと桃鉄がブレイクしたのはPCエンジン版から、という事を忘れないでほしい…
あそこは元からずっと平岸グランドビルで、ハドソンビルはあくまでも通称。
斜向かいの三慶ビルに事務系とモバイル・ネット系がいて、グランドビルがコンシューマ系だったはず。
> あそこは元からずっと平岸グランドビルで、ハドソンビルはあくまでも通称。
それは勘違いですよ。現在の「第3平岸グランドビル」は、
当時「ハドソンビル」という名前が建物自体につけられていました。
昔デバッガーのバイトをしてました
お世辞にも社会性があるとは言えない人たちが多数働いてました
みんな今どうやって生きているのだろう
デバッカーの仕事する人なんてそんなもんでしょ
むしろそういう社会性のない人たちに働く場を与えないと
ほんこれ
昔のSEは客に怒鳴ったり質問は勉強してからしてくださいと
普通に言う連中が多かったよ
北広島の東急ストア辺りで、STGのキャラバンを開催した時
Bugってハニーの、縦に回転する黄色いボールペンを貰った小2の思い出。
俺は、16連射のジョイスティックでは無く
24連射のホリコマンダー(ブラック)派だけどネ
Duo-Rは、外観がエレガンスで気に入ってたんで
新作出なくなっても、CDプレイヤーとして壊れるまで愛用してたさな
営業さん?が、発売前な天外魔境ZEROの販促を持って
サンピアザ地下、旧YESそうご電器の向かいにあったゲーム屋に宣伝に来てたので
一緒になってPLGSの魅力を聞き、予約して販促品を貰った事もあった
大怪獣物語のポスターも、一緒に持ってきてたケド
その後も、サッポロバレーにある会社で元ハドソンの方が働いてたり
高橋名人を、札幌のイベントで見かけたり‥地元なだけに?遭遇するw
芸術の森に開発部があって、その建物の屋上にSLのミニチュアを走らせていた。
NHKで放送してるの見ました
小学生だったから30年くらい前にアマチュア無線の免許を取るための講習会を確かハドソンのビルで受けた記憶があるな。
帰りに平岸駅までの途中のラーメン屋で食事したのが懐かしい。
ハドソンがもともと無線屋からスタートだしね
知り合いがハドソンで働いてて、用事があって会社まで会いに行ったことがあったなぁ
コナミなんかに吸収されたのが運のつきだな
コナミなんかもうまともなソフト何一つ作ってないし
コナミが吸収されれば良かったのにと思う
むしろその方が今のPC業界でゲーム以外に幅を拡げれたと思う
25年くらい前、支笏湖に行く途中の森にハドソンの廃屋を見つけた覚えがある。道路にキャッツアイが無いあの頃は楽しかったなぁ
平岸の環状沿いにあったコスモビットってPCソフトの中古屋よく行ってたなぁ
かつてのゲーム業界では札幌がけっこう目立ってたんだよな
FFのシナリオライターの野島一成も、データイースト札幌サテライト出身だし
今はソシャゲー会社くらいしか思いつかないけど
ネトゲのFF14、吉田直樹もお忘れなく
コナミグループに入ったときに、札幌にあった開発スタジオのコナミ・コンピュータ・エンタテンメント・サッポロと合併して、ハドソン・スタジオになって、その数年後に完全吸収ですね。コナミスタジオの人たちはどうなったのかなあ。
CQハドソンにはよく行ってましたね
アマチュア無線が全盛だった時期
裏の月極駐車場にハドソンと書かれた駐車番号板が落ちているのをつい先日発見しました