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昔は西区から手稲へ抜けられる道が少なかったんだね・・・。

歴史8コメント

1 : 2020/05/17(日) 09:22:40
北一条通沿いのお店って中々大変だよね?
歴史が古いからスペースも狭くて駐車場も確保できないし。
札幌も昔より車社会になっているからね。

 

2 : 2020/05/17(日) 11:31:03
その北1条通りって昔は宮丘公園までしかなかったんだね知らんかった

 

3 : 2020/05/17(日) 12:44:13
過去写真見ると24軒手稲通りも桑園発寒通りもつながってなかったんだ
手稲に行く道が少なかったんだな

 

4 : 2020/05/17(日) 13:50:29
俺が小学生のころなんて手稲なんて何にもない原っぱだったしw
手稲駅半径500m以外はなんもなかった。

 

5 : 2020/05/17(日) 15:47:59
何もなかったは言い過ぎ
ミノワと鉄北小学校とホクレンしかなかった

 

引用元:https://machi.to/bbs/read.cgi/hokkaidou/1588507134/

補足

北一条通(北1条・宮の沢通)は、北1条西4丁目~西宮の沢5条1丁目を繋ぐ道路です。
西宮の沢5条1丁目で北5条・手稲通と交わり、追分通へと続きます。
1980年代はまだ西野3条9丁目付近までしか延長していませんでした。
1993年に宮丘公園を通る宮丘トンネルが開通し、宮の沢までの往来が可能となりました。

二十四軒・手稲通は、北5条西23丁目~稲穂2条8丁目を繋ぐ道路です。
二十四軒駅~宮の沢駅間は地下鉄の上を走り、JR手稲駅付近から鉄道に沿うような道となり、星置駅まで続きます。
こちらも1980年代はまだ琴似発寒川で寸断される形になっていました。
後に長栄新橋が架けられ、発寒へと続くようになります。
1999年の地下鉄東西線宮の沢までの延伸時に現在の形になったと思われます。

桑園・発寒通は、北10条西16丁目~西宮の沢1条1丁目を繋ぐ道路です。
JR桑園駅から追分通りまで続いています。
こちらは、1980年代の地図だと発寒5条4丁目~発寒9条9丁目間は寸断されていました。
現在の終点である西宮の沢1条1丁目(当時は宮の沢)より先も道が続いていませんでした。