【南区】定山渓鉄道廃線後の思い出を語る!かつて使用されていた硬石山の道「ガンケ」とは!?
定山渓鉄道は、久保ヒデキ氏の「定山渓鉄道」に詳しい。
路線は、最初から豊平川の氾濫など 紆余曲折がありすぎた。
(路線は、豊平川左岸とか石山通とか真駒内種畜場真ん中を横断するとか)
鉄道そのものの衰退は、230号線の整備とバス事業の発展によるとのこと。
>>1
その本持ってます
たぶん1970年代後半、俺が物心付いたころ
石山陸橋や石山大橋がなかったころの記憶がうっすらある
定山渓鉄道の藤の沢駅の駅舎が公民館として残ってて
母と町会の集まりに行ったのをぼんやり思い出した
230号線はまだ片側1車線だった
もなみ公園前にはプリンスホテルがあって
命名権か何かで揉めてホテルもなみに変ったんだっけ?
ホテルアゲインでしょ?
おっさんの記憶では、230号線の藻岩下のあたりはコンクリート舗装だった 車で走ると妙にうるさい
>>5
滑走路みたいだね笑
石山大橋がなかったころは硬石山沿いの崖にほっそい道があったらしい
今も石積みの岸壁だけが残ってるようだけど
>>6
その崖にあるとかいう「ガンケ」という道、今年雪が無くなったら見に行こうと
思ってたところです。崖の中腹とか。ちよっと想像出来ないけど
今も残っているんですかね?
>>7
ガンケというんですか?
硬石山対岸の豊平川河川敷から痕跡が見えるんで気にはなっているんですが
見に行ける道筋とかあるんですかね?
かなり危なそうなんで行くならどうか気をつけて・・・
>>8
例のP105に・・・ここは、その昔より「ガンケ」と呼ばれた名所のひとつ・・・
とあり、P106の地図にも「ガンケ」とありますので地名かなと思っていました。
ただ地名としては太い矢印にガンケと大きい文字ですので、通称かなとも思います。
また、崖が訛って伝えられたとも書いていますので、やはり通称かもですね。
昭和50年代まで使っていたとありますが、今はどうなんでしょうかね。
それもあって、雪が溶けたらと思っていますが、危険でしたら無理はしません。
登り口も白川側なのか、川沿側なのか分かりません。
>>9
詳しくありがとうございます。
地元ですがガンケと呼ぶ人は周りにはいませんでした。
自分よりもっと昔の時代の呼び名みたいですね。
P107の写真のような景色だった記憶なので危険な場所だなあと…
まあそんな冒険はしないと思いますが笑
川沿側は柵もあるし採石場に隣接してるので入るのは躊躇いそうですが
グーグルマップを見ると白川のほうはちょっとだけ進めそうですね。
ああ、かなり年配の北海道民には崖のことを“ガンケ”という人が結構いますね。元は津軽か秋田弁なのかな?
有名なのは屈足湖のガンケ=カムイロキ(神の座)です。
情報ありがとうございます。
白川の方からアタックしてみようと思います。
無理なら、速攻撤退します。
引用元:https://machi.to/bbs/read.cgi/hokkaidou/1570235714/
補足
石山大橋は、1977年11月に架設されました。
川沿と石山を繋ぐとても重要な橋となっています。
そして硬石山にあるガンケという道、白川道路とも呼ばれていたようです。
白川の開墾を行うために、硬石山南端の崖の中腹へ道路の設置がされました。
このとき、道路開削の中心となったのが小村亀十郎です。
1898年(明治31年)12月に開削を開始し、翌年2月には完成したようです。
当時は幅員2.7mあり、馬車の往来が可能なほどでした。
札幌へ農産物を運び出すのに大きく貢献しました。
1970年代までは道路が通じていたようですが、今では人が歩くのも厳しいような状態となっています。
ただ、入るとしたら白川側からになりますかね。
川沿側からだと、私有地に拒まれて入れなさそうです。
グーグルマップの衛星写真から見ると、うっすら道のようになっている箇所が見受けられます。
また、1970年代の衛星写真を見ると、道路がくっきりと残っています。
土砂崩れが起きる可能性も高いので、無理はせず挑んでみたいですね。
コメント
コメント一覧 (5件)
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定鉄が川沿方面に線路を引いていたらな〜
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もしそうならガンケの下を走る超危険な線路になっていましたね笑
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層雲峡の小函であった落石みたいなことがあった日には…
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何年か前、ガンケに古い標識が残ってるとか聞いたような気がする
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対岸からドローン操って、ドローン目線で辿ってみては?