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かつてはスキージャンプ台としても利用されていた!簾舞の小山「二星岱」を紹介

2023/08/28山紹介3コメント

二星岱(2023年6月12日撮影)

南区簾舞には「二星岱(にせいだい)」という小山があります。
今回はこの山の概要や歴史を紹介していきたいと思います。

二星岱は簾舞中学校の横にある小山です。
基底礫岩の安山岩柱状節理が地殻変動で隆起したものとのこと。
簾舞の語源である「ニセイオマップ」の「ニセ」が山名の由来となっています。
標高は228mです。

この山の南側はかつて本願寺道路が通っており、その石碑も残っています。
また、簾舞の創設功労者らの発願により設置された三十三観世音菩薩も山中にあります。

三十三観世音菩薩の設置

開拓当時、簾舞の人々は神仏に対する信仰が篤かったようです。
そのような土地柄から、簾舞創設功労者ならびに観音信仰者が観世音菩薩の設置を発願。
大正2年(1913年)に三十三観世音菩薩が設置され、頂上には観音堂が建立されました。

毎年6月2日と10月2日に例祭があり、頂上の観音堂前にも露店が開かれたようです。

その後は、歳月の経過とともに観音像の破損も進みます。
これを見た黒岩卯三郎氏(※)をはじめとする発起人5名が復元を発願。
最初の三十三観世音菩薩設置から60年余り経った、昭和52年(1977年)に新観音堂を建立し、観音像12体を復元しました。

※簾舞創設功労者の子孫

二星岱公園 観音堂(2023年6月12日撮影)

新観音堂の建立から46年経った今でも丘の上から簾舞地域を見守っています。

国道230号線の開通

国道230号線の石山~豊滝間の工事が1960年~1961年にかけて行われました。
それまでは、簾舞小学校側を通る旧道(市道簾舞中央線)が国道として利用されていました。

石山~藤野までの国道230号線の工事は順調に行きますが、簾舞地区はこの「二星岱」が障壁に。
通常のやり方では掘削できないことから、二星岱はダイナマイトで掘削されました。
工事当時は、付近には黒岩邸と簾舞中学校があるのみだったため、ダイナマイトが使用できたようです。

しかし、ダイナマイトの量を誤り、簾舞中学校まで石が飛んでしまうという出来事が発生。
この時は、体育館の屋根が二箇所打ち砕かれただけで、幸いにも怪我人は出なかったとのことです。

その後は無事国道も開通し、かつての二星岱は南北に分離することとなりました。
遠くから見ると、対岸にある林とかつては繋がっていた様子がうかがえると思います。

二星岱(2023年6月12日撮影)

余談ですが、国道230号線開通当時は片側一車線で、毎日のように渋滞していたとのこと。
昭和53年(1978年)頃に御料橋〜石山大橋の迂回路が開通しましたが、それでも渋滞は緩和せず・・・。

現在となっては片側二車線化が進み、定山渓地区についても2023年3月24日より片側二車線化しました。
かつての渋滞道路も、道路整備のおかげで快適な道路へと変貌しています。

スキージャンプ台として利用されていた過去

昭和9年(1934年)に当時の簾舞体育協会がジャンプ台を設置しました。
早稲田大学などの五輪代表選手輩出校の合宿も行われ、大会も開催されていました。

簾舞中学校のグラウンドに向かって飛び立っていたようです。
※現在はもちろん、ジャンプ台は存在しません。

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